去年3月に亡くなった大江健三郎さんは、1965年に広島での取材をもとに被爆者や治療にあたる医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」を刊行し、その後も文学者の立場から核兵器の廃絶や平和について発信を続けました。
今回見つかった文書は、大江さんらの呼びかけで発足した「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」が、これまでに収集した資料の中から発見したものです。
文書は、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が、原爆投下から20年がたった1965年に被爆者の体験記などの資料収集を始めるのにあわせて、ほかの作家や学者らと連名で当時の知識人に協力を呼びかけた際に書かれたものです。
この中で当時30歳だった大江さんは、被爆者が自身の被爆体験を話したり書き残したりすることについて、「最もストイックな自己証明、あるいは自己救済の意志による事業だ」などとつづっています。
そして「ひとりの知識人が自分自身と人類の運命について考えようとすれば二十年前に現実に原爆を体験した人々について思いださざるをえないはずだ」としたうえで、日本被団協の事業への協力を呼びかけています。
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